私が子供の頃、大晦日が近づくと正月準備として祖父母の家で親戚が集まって庭で餅つきをした。
親戚の分も含めてたくさんの鏡餅と、正月に食べる丸い餅、おやつ代わりに食べるかき餅を作るために、何段も重ねられた蒸籠で蒸した餅米を木の臼と杵でついた。
いつもは自室で横になってのんびりとくつろいでいる曽祖母も、この日ばかりはほっかむりして、餅米を蒸し、台所と庭を何度も往復した。
杵をつくのは、祖父、伯父、私の父、叔父。
始めは祖父が餅をつき、祖母が餅を返した。祖母は手を水で濡らしてリズムよく「ハイッ」「ハイッ」と言いながら、湯気が上がった餅を返す。その掛け声に合わせて祖父は杵を餅におろす。始めはゆっくり、だんだんスピードは速くなる。白ごはんのようだった餅ごめはまとまり、一つの餅になっていく。
祖父母が何回か餅をつくと「次は夫婦でやってごらん」と三人娘たちを促す。まずは伯母夫婦から。なんでも器用にこなす伯母夫婦は祖父母たちほどのリズミカルさとスピードは出ないものの、餅をついていく。次に私の両親と叔母夫婦。甘えん坊の私の母や叔母は「おかあさーん、手があっつい!」「ちょっと、私の手を叩かないでよ!」「腰がいったぁ!」と大騒ぎして周囲を笑わせる。
餅がつきあがると始めは親戚の分の鏡餅を作る。次に正月に食べる丸餅。お雑煮に入れたり、ストーブの上で焼いて、砂糖醤油をつけて食べたりするための餅だ。
それから、粉をたくさんまぶした型に砂糖と豆を混ぜた餅を入れる。これは乾燥させて長方形の立方体にしたあと、包丁でスライスしてからストーブの上やオーブントースターで焼いておやつがわりに食べる。甘くて美味しいおやつの餅だ。
それが終わると、お楽しみのつきたての餅を食べる時間だ。小さく千切った餅をきな粉が入ったボウルと大根おろしと醤油が入ったボウルに投げ入れていく。
大人たちは大根おろしの方が好きみたいだったが、子どもたちはきな粉餅をひたすら食べる。つきたてもお餅はふわふわと柔らかいのによく伸びてきな粉の甘さも相まって、いくらでも食べられるような気がした。
私の母は戸籍上では一月二日生まれなのであるが、母は以前から「でも本当は二日が誕生日ではないのよ。昔は女の子が元旦に生まれたら二日で出生届を出したり、逆に男の子が年末に生まれたら出生届を元旦にしたらしいの。お母さんは30日ごろに生まれたみたいよ」と言っていた。
30日ごろ、というのもいい加減な話であるが。大晦日ではなく年末に産まれたのでそのくらいだろうと母は思っていたようだ。
ところが、祖母の晩年に、母の誕生日の話になった時に、祖母が「もっと前じゃないかなぁ。餅つきしていたような」と言い出した。
そのころは母の誕生の頃に物心がついていた人間は祖母以外いなくなってしまっていたので真実は闇の中であるが、もし餅つきの日に産まれたのであれば、随分と賑やかしい日に誕生したことである。
祖父母の家の庭に「おつぼ」と呼ばれる場所があった。
それは「坪庭」とも違って、庭の一部に一抱えくらいの大きさの石を並べて囲い、中に土をもって、植栽した場所であった。ほとんどが木で、花などはあまり植えられてなかったように思う。祖父母家はそこに石の灯籠も置かれていて、宝探しごっこの時はその灯籠に小さな実が置いてあった。
私の実家の庭にも「おつぼ」はあり、背の高い木やツツジなどが植えられていた。木専用の花壇みたいなものと言ったところだろうか。
花壇と違うのは、カジュアルな場所ではなく、大切な場所として扱われていたところだ。小さい頃、庭のあちこちで遊んだが、「おつぼ」には基本的に入ってはいけなかった。
「おつぼ」に入るのは手入れをするときくらいで、そこでかくれんぼをしたりはなかった。
私の実家の猫が死んだとき、母は可愛がっていた猫をお骨にしてもらってから、「おつぼ」の中のピンクの花が咲くツツジの根元に小さな墓を作った。墓石がわりに私が中学世の頃に友達から誕生日プレゼントにもらったが、使わないまま飾っていた陶器でできた猫の貯金箱を、母はツツジの下に置いた。陶器の猫と死んだ猫の毛の色が少し似ていた。
猫の墓の場所を「おつぼ」に選んだ理由は、まずほとんど人が足を踏み入れないこと。そして、猫が生前ピンクのツツジの下でよく昼寝をしていたこと。
今思えば、人があまり来ないツツジの陰で猫はよく寝たり、毛並みを整えたりしていた。リラックスできる場所だったのだろう。
私は長い間「おつぼ」という言い方は珍しくないものかと思っていた。方言や地域限定かもしれないが、庭に「おつぼ」がある、それは普通のことかと思っていた。しかし、友達の家で「おつぼ」を見たことがない。祖父母の家と自分の家、親戚の家だけだ。
検索してもヒットしない。親戚内で使ってた言い方だったのかもしれない。
ちょっと面白く思ったのでここに記しておく。
二つの小さな実とケチャップの匂い 夏の匂い②
2026.05.11
子どもたちが、薄暗くなった芝生の庭で時間をつぶしていると、
さっきは「入ってもいいですか」と聞いた私たちに「だめ」と言った年長の従姉妹がやってきた。
「入っておいで」
その声で子どもたちは、またぞろぞろと渡り廊下を通り、
年長の従姉妹の部屋へ移動した。
気が強く、スポーツも勉強も万能で、いつも活発な従姉妹。
その部屋は伯母の趣味によって、少女趣味に整えられていた。
壁一面の作り付けの収納。
白地に落ち着いた花柄の壁紙。
足元にはベージュのカーペット。
子どもっぽくない落ち着いた机と、白いレザーのフランスベッド。
白いベッドサイドテーブルとドレッサー。
この優雅な部屋に、私は憧れていた。
部屋に入ると、年長の従姉妹は私たちの前に紙で作った箱を差し出した。
中には、四角に畳んだ紙が年長の従姉妹を除いた人数分入っていた。
それを一枚ずつ取って開く。
私の紙には、
「二つの小さな実」
と書かれていた。
他の子たちの紙には、それぞれ違う言葉が書かれている。
どうやら、その言葉に当てはまるものを
敷地の中から探してくる宝探しゲームらしかった。
私たちはまた庭に戻った。
もうすっかり暗くなってしまった庭で、
私は「二つの小さな実」を探した。
それが何なのか見当もつかない。
日本庭園の大きな石の上。
つくばいの中。
芝生の庭の端にある池のまわりの石。
裏庭の物干し台。
思いつくところを、くまなく探した。
疲れ切ったころ、
玄関の横の「おつぼ」の中にある石灯籠の中で、
紫の小さな実が二つ置かれているのを見つけた。
私はその紫の実を握って、
年長の従姉妹の部屋へ戻った。
まだ、ほかの子どもたちは戻っていない。
しばらくすると、小さな従姉妹たちが次々に帰ってきた。
年長の従姉妹は「賞品」と言って、
それぞれに鉛筆や消しゴム、ノートなどを渡した。
宝探しゲームに一番に戻った私には、
特別に陶器でできた二つの白い天使の像をくれた。
その天使の像は、
従姉妹の部屋のベッドサイドテーブルにずっと飾られていたものだった。
私はあの像を、よくじっと眺めていた。
天使を渡すとき、
従姉妹は少しムッとした顔をしていたと思う。
従姉妹は、
恥ずかしいときや嬉しいとき、
わざとムッとした顔や真面目くさった顔をする癖があった。
きっと、私が喜ぶと思って、
とっておきの天使をくれたのだと思う。
二つの天使は、
私が結婚して家を出るまで、
自分の部屋に飾っていた。
今も実家のどこかに、
残っているだろう。
従姉妹の部屋でお化け屋敷ごっこをしたこともあった。
部屋を暗くして、入口にはビニールテープのようなものが張られ、
入ってきた人の顔に触れる仕掛けが作られていた。
図工の時間に作った手の工作に、
デスクライトを下から当てて、不気味さを演出する。
ベッドの陰から従姉妹が飛び出してきて、脅かす。
その従姉妹は、口にケチャップをつけて「血」のように見せていた。
小学生としてはかなり力の入った、本格的な“お化け屋敷”だったと思う。
けれど部屋に入った瞬間、
ケチャップの匂いがふわっと広がっていて、
口元を赤くした従姉妹を見た途端、私は笑いが止まらなくなった。
怖いはずの仕掛けも、全部が一気に“作り物”に見えてしまった。
私の人生で、一番楽しかったお化け屋敷だった。
お盆になると賑やかだった祖父母の家 夏の匂い①
2026.05.11
祖父母の家は、曽祖父母が亡くなる前まで七人で暮らしていた。
それでも、いつも静かな家だった。
床が高く、夏は風が通って涼しい。
冬になると、底冷えのする家でもあった。
祖父母の家には、二種類の廊下があった。
外廊下と内廊下である。
外廊下は主にお客様が通る廊下だった。
この家を訪ねる人は、玄関を入ってすぐ右の応接間に通されるか、応接間を抜けて外廊下を進み、二間続きの和室へ案内された。
内廊下は家族と親戚が使う廊下だった。
内廊下を通って台所兼ダイニングへ行くと、大きなダイニングテーブルを囲んで親戚たちが思い思いに話し始める。
六脚の椅子では足りなくなると、部屋の隅に重ねられている赤い丸椅子を持ってきて、それに座った。
いつもは静かなこの家も、お盆と正月だけは違った。
内廊下を通ってくる足音と、大きな話し声、笑い声で満ちていく。
人が増えてくると、子どもたちはだんだん居場所を失う。
四人の子どもは、離れに住む一番年長の従姉妹の部屋へ、ぞろぞろと歩いていった。
渡り廊下の奥にあるその部屋には、一つの決まりがあった。
勝手に扉を開けてはいけない。
二回ノックして、「入ってもいいですか」と聞く。
「いいよ」と中から従姉妹の声がしたら入ってよい。
従姉妹が不在のときや、部屋の中から従姉妹の「だめ」という返事が聞こえた時は、入ってはいけない。
部屋に入れないときは、庭で遊ぶしかない。
日本庭園、芝生の庭、裏庭、
そして様々な木々が植栽された「おつぼ」。
遊ぶ場所はいくらでもあるのに、思いつくのは追いかけっこか、高鬼くらいだった。
だんだん薄暗くなってくると、
母か叔母、あるいは年長の従姉妹が「入っておいで」と声をかけにくる。
たいていは従姉妹だった。
笑いをこらえたような、少し真面目な顔をしてやって来る。
そういう時は、従姉妹がとびきりの遊びを用意しているときだった。
玄関を出て、芝生の庭をまっすぐこちらへ歩いてくる従姉妹の姿。
その光景を、私は今でも思い出すことができる。
帯揚げで季節感を演出したいと思っている
帯締めにこだわる方は多いと思う。私も帯締めは大事にしていて、締め心地、色などあれこれ考えて購入している。
が、普段着物を着る時、着物、帯と選んでその次に選ぶのは私の場合、帯揚げの色。
新しい帯揚げを購入した時は、この帯揚げに合う着物と帯というふうに選ぶ時さえある。
私のイメージでは、帯揚げは男性のスーツの胸ポケットから少し覗くポケットチーフ、女性のセーターやブラウスの首元から見えるスカーフなどに近い。
面積は近いけど、印象に残るような。帯揚げの色を選ぶ時も前からよりも斜め後ろから見た時にしっくりくる色を選んでいる。
着物や帯に使われている柄から色を選ぶよりも、新しく色を追加、季節の風を吹き込むつもりでプラスするような色の帯揚げを選ぶことが多いし、選んでいても楽しい。
私が普段よく使うのはちりめんの無地の帯揚げ。いい色がないかネットでも店舗でも常にチェックしている。
特に好きなのは三浦清商店が染めたちりめんの帯揚げ。何枚購入しただろうか。今頭の中で数えただけで7枚ある。多すぎるかもしれない。でも他にも欲しい色がまだある。
私ははじめに白つるばみ、灰白、と微妙な違う薄い色を揃えてから、季節を感じる差し色を揃えていった。
こちらは夏用の絽帯揚げ。薄い色の着物に白に近いけど白じゃない色を選ぶと涼しげだし、逆に紺や深緑などの濃い色を薄くチラッと覗かせるのもいいと思っている。
自分に合う襟元を探す
2026.05.09
着付けで気になるポイントはたくさんあるが、衿元もそのうちの一つ。
着付けを始めたばかりの時はよくある差し込み式の衿芯を使っていた。そのうちに本などを読み、縫い付けるタイプの衿芯を使っている時期もあった。それでは少し柔らかい気がして張りのあるカレンダーの紙を折って後ろに追加したり。
それでも100%満足とはいかなくて、今は2本に分かれているタイプを使っている。理想通りというわけにはいかないが、今のところこの商品を使い初めて満足している。
縫い付けタイプの衿芯と違って、手がかからないのもいい。

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まだまだ、色々な商品を試してみたいと思っている。いつか満足する着付けが出来る日がくるのだろうか。来そうな気がしない。いつまでも理想を追いかけて探索しているような気がする。
それもまた楽しみの一つではあるが。
色々便利な着付けグッズもあるので、色々試してみつつ、自分に合った着方をしたい。
おすすめの商品があったら、ぜひコメント欄で教えてください。
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着物と家族の記憶を残したくなった理由
2026.04.29
このブログを始めたとき、着物と茶道にまつわる話を書こうと思った。着物の楽しさやちょっとした道具の話、そんなことを忘備録として書きたかった。
だが、着物の話を書き始めると、不思議ことに親族の記憶、祖父母が住んでいた家の記憶が後から後から溢れてきた。
毎日着物をきて生活していた曽祖父と曽祖母、晩年家の中で曽祖父の着物で過ごしていた祖父、出かける時は着物を着ていた祖母、正月や参観日に着物を着たり若い頃は普段にウールの着物を着ていた母、着物好きの親戚の女性たち。
懐かしい顔が私の頭の中でいっぱいになり、笑ったり喋ったりしている姿を思い出す。
笑う祖母の顔を思い出している時にふとこう思った。
明治生まれの祖母は、文章を読むことも書くことも大好きだった。もし、祖母の若い時代にブログがあったら、面白いブログを生き生きと書いたかもしれない。
女学校時代の思い出話、結婚の挨拶に来た祖父の顔を障子に穴を開けてどんな男性なのか覗き見した話、家庭菜園のスイカが立派に育った話、孫たちとババ抜きをしたらなぜかババばかり引いてしまって笑いが止まらなくなってしまった話
祖母に書いてもらいたい話はいくらでも思いつく。私の知らない楽しい話、悲しい話、辛かった思い出もたくさんあっただろう。
そんなことを考えているうちに、ちょっと面白いことを想像してしまった。
もし、もっと昔にブログがあったらどうだろう。
戦国時代の足軽ブログ「戦争と日々の日記」
江戸時代の乳母ブログ「若様の育児ブログ」
そんな日常の記録が残っていたら、どんなに面白いだろう。もちろん、実際にはそんなものはない。
だけど、もし昔の庶民の生活の記録が残っていたら、私たちはそこからたくさんのことを知ることができたのではないだろうか。
そこで、ふと思った。
私のこのありふれた子ども時代の風景を残したブログも、未来の人が見たら「こんな生活があったんだな」と思うかもしれない。
消えゆく生活の記録をここに残しておこうと思う。
杏の木と祖母の和歌
2026.04.29
亡き祖母は明治の最後の年に生まれた。いつも笑っていて優しく、働き者で賢い女性だと言われていた。祖母は大変な読書家で、特に日本史と古典を好んだ。大学ノートに和歌を書き溜めていた。
ある春の日、祖父母の家の庭にある杏の木が見事な花を咲かせていた。薄白い花が大きく庭に広がっていた。祖母と母と私は外廊下に並んでそれを眺めていた。
すると、どこからかメジロが飛んできて、杏の枝にとまった。
私たちは身動きをせずに息をひそめて杏とメジロをみていた。枝にとまったメジロはしばらくの間可愛い仕草を見せた。
メジロは飛んで行った。気づくと祖母の姿はそこになかった。
台所に戻ると、祖母がダイニングテーブルの上にうす水色の大学ノートを広げ鉛筆で何かを書いていた。
何を書いているかは聞かなかった。
おそらく、春の歌を詠んでいたのだろう。
着物の記憶④火鉢のある部屋
2026.04.25
曽祖父はいつも着物を着ていた。
旅行に出かける時や、何か特別な用事がある時だけはジャケットを着ていたようだ。
けれども、私の記憶の中の曽祖父は、いつも黒い着物を着ている。
曽祖父の家の母屋は、
応接間とダイニングルーム、キッチン以外は、ほとんどが畳の部屋だった。
曽祖母は自分の部屋で静かに過ごす人だったが、曽祖父は人が大好きな人だった。
家の中でも、みんなが必ず通る廊下に面した二間続きの和室に座っていた。
まるで、誰かが来るのを待っているかのようだった。
黒い着物を着て座る曽祖父の前には、いつも火鉢が置いてあった。
季節に関係なく、いつもそこにあった。
火鉢の上には鉄瓶が乗っていた。
火は入ってなく、鉄瓶の中には水が入っていて、時々曽祖父はその水を飲んでいた。
子どもたちが家に来ると、曽祖父は静かに立ち上がり、押し入れを開けた。
そして、小さな引き出しを開けて、お菓子を取り出す。
いつも丸ぼうろだった。
伯父は婿養子で佐賀の実家に帰省するたびに、曽祖父の大好きな丸ぼうろをたくさんお土産に買いこんでいた。
曽祖父はそれを一人ずつに手渡してくれた。
火鉢の前に座る黒い着物の人と、丸ぼうろの甘い匂い。
私の中の古い記憶の一つだ。
水無月ー初夏にいただく、祓いの和菓子
2026.04.19
季節感を大事にする和菓子の世界にはこの時期にしか食べられない期間限定のものが沢山あるが、毎年私が待ちわびている和菓子がある。
六月になると、和菓子屋の店頭に並び始める「水無月」
三角形の白いういろうに、小豆が散りばめられたこの菓子は、見た目にも涼やかで、初夏の訪れを感じさせてくれる。
水無月は、古くからの厄除けの意味を持つ和菓子としても知られている。
水無月の由来と意味
水無月は、もともと旧暦の6月を指す。
この時期は暑さが増し、体調を崩しやすい季節でもあった。
そこで日本では、半年の穢れを祓うために行われる「夏越の祓(なごしのはらえ)」という神事があり、
この神事とともに食べられてきたのが、水無月である。
特に有名なのは京都の風習で、
- 上の小豆:邪気払い
- 三角形の形:氷を模した形(暑気払い)
- 白いういろう:清らかさの象徴
といった意味が込められていると言われている。
三角形に込められた涼のかたち
水無月の特徴は、なんといってもその形である。
三角形は、かつて氷室の氷を切り出した形を表しているともいわれ、暑い夏を乗り切るための「涼」を象徴している。
その上に散らされた小豆は、まるで冷たい小川の底の石にも見える。
見た目の美しさだけでなく、意味を持つかたちであることが、日本の和菓子らしさを感じさせるのである。
水無月の味わい
口にすると、もっちりとしたういろうの食感と、小豆のほのかな甘さが広がる。
重たすぎず、しかし満足感のある味わいは、蒸し暑い季節にもすっと馴染む。
暮らしの中の水無月
和菓子は、季節を食べるものだと言われ、
水無月もまた、六月という時間そのものを形にしたような存在である。
忙しい日々の中でも、こうした季節の菓子に触れることで、
ふと立ち止まり、季節の移ろいを感じる。
水無月は、厄除けの意味を持ちながらも、
見た目にも味わいにも静かな美しさを持つ和菓子。
6月の雨の日には、温かいお茶と「水無月」がよく似合う。